記事タイトル:おでんの謎:「関西謎学の旅」Journey06
日本の代表的な冬の料理というと、日本人は必ずおでんを挙げます。
おでんは、大根、こんにゃく、ちくわぶ、玉子、はんぺん、つみれ、牛すじ、鶏肉、
うずら、さつま揚げなど、さまざまな具材が煮込まれた、ほっこりと温まる冬の料理の代表です。しかしおでんには、さまざまな謎や疑問があります。
そもそもおでんの正式名称は、何を意味するのか?
一般的には「おでん」と言われていますが、関西では「関東煮」とも呼ばれることが多いです。「関東煮」と呼ぶと言うことは、おでんが誕生したのは関東地方、つまり江戸発祥の料理なのでしょうか? また、関東煮がおでんの正式名称なのでしょうか?
関東煮がおでんの最初の名前なのでしょうか、それにしても名前に共通するところがないのでは。さらにおでんの具材は、大根、こんにゃく、ちくわぶ、玉子、はんぺん、つみれ、牛すじ、鶏肉、うずら、さつま揚げなど、さまざまなものがあります。
おでんは、そもそも多くの具材を楽しめる煮込み料理として誕生し発展してきたのでしょうか? またおでんの出汁は、醤油や味噌で味付けして楽しみますが、そもそもおでんは出汁料理として誕生し歴史を歩んできたのでしょうか?
考え始めると、多くの謎や疑問が湧き出します。おでんの歴史や文化を探っていくと、当たり前の料理の謎が解き明かされ、日本食の新たな一面が見えてきそうです。
『おでんの謎①名前の由来と発祥の地はどこ?』
おでんのルーツを調べると、豆腐に串を打って焼いた「豆腐田楽」とされています。
豆腐田楽とは、拍子木形に切った豆腐に竹串を打って焼いたもので、その形が田植え時の豊穣祈願の楽舞「田楽舞」に似ていたことから、この名がついたと言われています。
田楽は平安時代から存在し、450年前の室町時代に京都で庶民の間で広く親しまれるようになりました。時代を経て江戸時代になると、田楽にこんにゃくや大根など様々な具材が加わりこれが現在の「おでん」の原型となりました。
おでんに竹串を使うようになったのは、田楽の誕生からと考えられます。竹串は熱に強く、食材をしっかりと固定できるため、煮込み料理に適していました。また、竹串は使い捨てなので、衛生面でも安心です。豆腐田楽は、江戸時代には江戸庶民に広く親しまれ、屋台や居酒屋で食べられるようになりました。この頃には、豆腐田楽の具材も、大根やこんにゃく、ちくわぶなど、さまざまなものに広がっていたことが残された文献から分かっています。このように、おでんはもともと、串に刺した豆腐や野菜などを焼いた料理であり、煮込みおでんになっても竹串の存在がルーツである田楽とのつながりを残しています。
『おでんの謎②煮込みおでんと関東煮はどっちが先?』
それでは、現在のような熱々の鍋で煮込むおでんはいつ登場したのでしょう?
具体的には、江戸時代の文献には、以下のようなものが記録されています。
江戸時代の料理書として非常に貴重な資料のひとつである、1674年(延宝2年)刊行の『万宝料理秘伝』には、「田楽煮」という料理が紹介されています。これは、大根やこんにゃく、ちくわぶなどを焼いた後に、醤油と味噌で煮込んだものです。
また江戸時代の豆腐料理の専門書として高く評価されている、1782年(天明2年)刊行の『豆腐百珍』には、「煮込み田楽」という料理が紹介されています。これは、串を刺した豆腐やこんにゃく、ちくわぶなどを焼いた後に、醤油と味噌で煮込んだものです。
その後江戸時代後期には、煮込み田楽が進化し醤油や味噌などの調味料を加えて煮込むようになった「煮込みおでん」が誕生しました。煮込みおでんは、屋台や居酒屋で食べられるだけでなく、家庭でも作られるようになった庶民の定番料理となりました。
おでんの正式名称は、一般的には「おでん」と言われています。しかし、関西では「関東煮」と呼ばれることも多いです。これは、煮込みおでんが関東で誕生したことから、関東から伝わった料理として関西で呼ばれるようになったと考えられます。
このように、おでんのルーツは室町時代に京都で豆腐田楽として誕生し、江戸時代に田楽が鍋に入り関東煮が生まれました。それが大阪に伝わり出汁をベースとした煮込み料理のおでんへとさらにアップグレード、江戸時代後期に出汁文化が根付いていた大阪で現在の汁おでんが根付いたのではと言われています。
『おでんの謎③家庭の味として親しまれるようになったあるマンガとは?』
昭和初期から昭和20年代後半までは、おでんは、屋台・おでん専門店・駄菓子屋などで食すもので、家庭内ではまだあまり食べられていなかったようです。
おでんが全国の家庭の味へと広がる大きなきっかけとなったのは、1962年赤塚不二夫原作の人気漫画「おそ松くん」に出てくるチビ太のキャラクターとともに描かれた、
三角、丸、四角の具が串に刺さったおでんのイメージ「チビ太のおでん」なのです。
「おそ松くん」の大ヒットと共に「チビ太のおでん」によって、おでんは家庭で一挙に一般化しました。戦後、復興する経済とともに、練り製品も惣菜や素材として市場などで販売され、“作るそばから売れた”という時代も後押しをしました。
この後、「汁の素」のような商品が発売され簡便性も増すなどして、家庭でも様々なシーンでおでんが普通に食べられるようになりました。
1965年(昭和40年)頃、大阪の千里ニュータウンで実施された鍋料理の調査結果の、おでんはしゃぶしゃぶ、うどんすきに次いで3位に入るという結果からもうかがえます。おでんは、おそ松くんとともに世に広まり現在のような国民食の地位を築き上げたと言っても過言ではありません。