大阪府堺市と大阪市に広がる「百舌鳥古墳群」(もずこふんぐん)は、400基以上の古墳が密集する世界最大級の古墳群(墳墓)です。2019年にユネスコの世界文化遺産に登録されたこの地域は、3世紀後半から7世紀にかけて日本列島で盛んに古墳が築造された古墳時代(こふんじだい)の墳墓とされています。関西地方は、日本における古墳文化の中心地であり、全国の約4分の1の古墳が集中しています。古墳時代は、日本の歴史における時代区分の一つであり、紀元前3世紀から7世紀初頭までの時期を指します。古墳時代は、日本列島における国家形成や社会の発展が進んだ時代としても特徴づけられています。その理由として挙げられるのが、古墳は支配者やその一族の墓として建設されたと考えられているからです。つまり古墳時代には、豪族と呼ばれる地域の有力者層が台頭し、彼らは土地や人々を支配し、古墳を建造するなどの象徴的な行為を通じてその権威を示していたことを百舌鳥古墳群は示しています。
『関西古墳の謎①百舌鳥古墳群最大の謎は?』
百舌鳥古墳群の古墳は、一定の規則に基づいて配置されているとも考えられています。
しかし、百舌鳥古墳群の多くはまだ発掘調査が行われていないため配置などの規則性は謎に包まれています。未発掘古墳の調査によって副葬品や埋葬方法や当時の文化や生活を知る手がかりが眠っている可能性が高く、百舌鳥古墳群の配置の謎も調査が待たれているのが現状です。
その中でも百舌鳥古墳群最大の謎は、日本最大規模を誇る仁徳天皇陵古墳です。全長486メートル、高さ35メートルという巨大な古墳の築造方法からして謎です。
当時の技術力では、巨石を運搬し、積み上げることは非常に困難と考えられているからです。一体そんな技術をどのように手に入れ、誰が造営したのか土木技術の方法さえ分かっていません。
仁徳天皇も日本の歴史書である『日本書紀』において記述されている伝説上の天皇であり、その存在自体に諸説があり仁徳天皇陵古墳の被葬者は誰なのかさえ、大きな謎に包まれています。
仁徳天皇陵古墳のような前方後円墳の形がなぜ採用されたのかは、明確な理由は分かっていませんが、いくつかの説があります。
前方後円墳は、中国大陸の遼東半島や朝鮮半島に見られる前方後円墳の影響を受けていると考えられています。当時の日本は、中国大陸や朝鮮半島との交流が盛んであり、文化や技術の影響を受けていました。また、前方後円墳は古代日本の祭祀儀礼と関係があるとも考えられています。前方部は祭壇、後円部は被葬者の埋葬場所と考えられ、前方部は太陽、後円部は死後の世界を表していると解釈されています。そこから、太陽や死後の世界を表す宗教的な意味があるとも言われています。
『関西古墳の謎②百舌鳥古墳群の謎を解く鍵は邪馬台国にあり』
百舌鳥古墳群に、なぜこれほどまでに多くの古墳が集中しているのか?誰がこれらの古墳を築造したのか?古墳に埋葬されている人物は誰か?
これらの謎を解くためには、百舌鳥古墳群が築造された時代背景を理解する必要があります。古墳時代は邪馬台国を経て登場しました。邪馬台国とは、3世紀頃に中国大陸の史書魏志倭人伝に記された日本の古代国家です。邪馬台国の所在地は、依然として謎に包まれていますが、九州北部説、畿内説と様々な説があります。
百舌鳥古墳群は、畿内の中心部に位置しています。もし、邪馬台国の所在地が百舌鳥古墳群周辺であったとすれば、百舌鳥古墳群は、邪馬台国の王権の象徴として築造された可能性もあります。
また、邪馬台国と朝鮮半島との関係も、百舌鳥古墳群の謎を解く重要な鍵となります。百舌鳥古墳群には、朝鮮半島から渡来した人々によって築造されたと考えられる古墳が存在するからです。
邪馬台国と朝鮮半島との関係を明らかにすることで、百舌鳥古墳群に葬られた人々のルーツや、当時の社会・文化について、より詳しく知ることができるでしょう。
このように、百舌鳥古墳群の謎を解くためには、邪馬台国の謎を解明することが不可欠です。そのため、百舌鳥古墳群を築造した集団は、邪馬台国と深い関係を持っていた可能性があるのではと考えられています。
『関西古墳の謎③百舌鳥古墳群に眠る謎とは?』
古墳時代についての記録が残っている文書は、残念ながら存在しません。古代日本における文字の使用は、5世紀後半から6世紀にかけてであり、中国や朝鮮半島からの漢字や漢文文化の影響を受けて文字は急速に広まりました。しかし、それ以前の古墳時代においては、文字の使用が非常に限られており、文字による記録がほとんど残っていないため、その時代の歴史や文化については考古学的な発掘調査や遺物の分析、後世の史料や伝承に基づく研究などによって推測されています。それ故に、世界最大級の古墳の謎の解明は日本の歴史の謎の解明にも結びつくのです。
関西の世界遺産、「百舌鳥古墳群」の謎を訪ねる旅は如何ですか?